君の歌声だけが、いつまでも残っている
夏のせいにしたらいいーーー
それでもだめなら君のせいにしたらいいーーーー
あのとき自分がどんな感情だったのか、一切覚えてない。 君の歌声だけがいつまでも残っている。
季節外れの陽気と、札幌での待ち合わせ
10月末、札幌。 朝一の便で東京から飛んできた俺は、寒いぞと散々脅されていたぶん、拍子抜けするほどの陽気に驚いていた。 季節外れの暖気で20度を越えて、その時期にしては暖かかった。
待ち合わせは12時。 少し早く着いた俺は、そわそわしながら札駅周辺を歩き回っていた。会う約束をしてから1か月弱、それに比べればたった1時間もない待ち時間なのに、永遠みたいに感じた。 1人で観光する札幌は味気なく、どこか空虚だった。
見た目に期待しなかった俺が、息を呑んだ瞬間
声が可愛くて、話もフィーリングも合っていた。 顔や雰囲気なんて関係ない、普段会う女性は雰囲気写真で判断している俺にそう思わせるくらい、相性は良かった。 だから見た目には期待していない。 女性の外見に期待するのがどれだけ無駄かわかっていたから。
約束の10分前、LINEが届いた。「今日こんな感じです〜」という軽い文面と、1枚の写真。 その瞬間、初めて彼女の顔を知った。期待しないといったけどやっぱり見た目がいいほうが嬉しい。とても嬉しかった。
実際に会ってみると、写真以上だった。 顔がかわいいのはもちろん身長は170cmを超えていてスレンダーな美少女だった。 彼女はいわゆる合法JKでおそらく学校内では一軍と呼ばれる分類の女子だろう。裏垢をやっていなければ、絶対に関わることのないタイプだった。彼女のことを“Sちゃん”としよう。
特別すぎた1日と、歩いた札幌の街並み
札駅で待ち合わせの後中島公園まで移動し、駅のトイレで遠隔のおもちゃを入れさせる。 そのまま街を歩き、首輪をつけてプリを撮ったりして遊びながらホテルへ向かった。
いつも通り。 最初は喋るのが苦手だったが何十人と経験し、大体の会話のテンプレがあった。 慣れた流れ。 ホテルは都内と比べて安くて綺麗で、時間もゆっくり使えた。
彼女のTwitterでスペースを開き、フォロワーに音声を“おすそ分け”する──独占欲が満たされていく。 昼過ぎに入って8時間。何回戦したかも覚えてない。すべてが一瞬だった。
名残惜しくて、山岡家でラーメンを食べた後、札駅まで徒歩で戻りながら案内してくれた。 二人で隅から隅までガチャガチャを見て遊んだ。
麻布は麻布ではなく麻布と読むらしい。 このカフェは来月閉店予定らしいのでテイクアウトした。
すすきのや狸小路、札幌テレビ塔を見ながら歩いた時間は、いつも住んでいる東京とは違って現実感がなくて、特別だった。 地元の人は札幌駅のことを「さつえき」と呼ぶらしいーーー。 ──そのことを教えてくれたのも、Sちゃんだった。
でも俺は、別の誰かと会いに行った
解散しその夜、俺は別の女性と会った。 その女性は年上で、次の日も仕事が早いのに仕事終わりに1時間以上かけて車で来てくれた。お土産をたくさん持ってきてくれて、「会いたかった」と言ってくれた。
でも完全にSちゃんの残像が残っていた。 盛り上がらず、途中で萎えてしまった。それでも「そういうときもあるよね」と優しく受け入れてくれた。
翌朝、起きると彼女の姿はなく、ベッドには書き置きとホテル代だけがあった。 少し、寂しかった。自分を責めたくなるような朝だった。
Sちゃんとは、たくさん写真や動画を撮った。今でも彼女の顔は覚えている。でも、その女性とは写真も記憶も何も残っていない。
「また会いたい」と思えた、初めての朝
日曜日、3人目と会う予定だったが、気が乗らなかった。 「ごめん、今日無理そう」とだけ伝えて、Sちゃんに「今から会えない?」と連絡した。
前日、彼女は「起きれたら大丈夫ですけど、朝苦手なんですよね」と言っていた。 普段なら、そんなふざけた発言をされたら他の女にいく。でも今回は違った。
どうしても、会いたかった。 会えなかったら後悔する。 いや、たとえ会えなくても──会える可能性のある選択肢を取らなかったら、きっと後悔すると思った。
10時にチェックアウトして、行き場もなく札駅周辺をうろついていた。 昨日おすすめされたパン屋で朝ご飯を食べた。 やることもなく、小雨が降る中ただひたすら駅の周りを歩き回っていた。
LINEが返ってきたのは13時を過ぎてからだった。 再会できたのは14時半。そこから17時半までの3時間──短いようで、長かった。
君の声だけが、まだ耳に残っている
ビレバンに寄った彼女は、ハンギョドンを手に取った。 「ハンギョドンが好きな女性は綺麗な人が多い」そんな偏見が俺の中にできた。
カラオケに行った。混んでて3軒くらい探した。 自分が何を歌ったかは覚えていない。けれど、彼女の歌とその声だけは残っている。
学生の頃、朝から晩までフリータイムでカラオケにいた俺にとって、1時間なんて本当に一瞬だった。
「またね」と言われたくなかったのに
すぐに時間は来る。帰りたくない。でも、明日から仕事がある。帰らなきゃいけない。 改札前まで来て、彼女は「またね」と言った。
俺は固まった。 いつも自分が言う側だった。「もう会うことはないだろう」と思っていても、それでも優しい嘘として「またね」と言っていた。
彼女の意図はよくわかっていた。 今後一生会わないとしても最後はお互いまたねで気持ちよくいい思い出にするんだ。 全部わかっていた、これまで自分もやってきた。
だからこそ、そうはしたくなくて。 俺の口から出たのは「もう会えない気がする」だった。 彼女は笑って、言った。「また暖かくなったら会いましょ」
夏のせいじゃない。君のせいでもない
ああ、そうか。 余計なことを言った俺のせいで、彼女に嘘をつかせてしまった。 住む場所も、年齢も、すべてが違う。 普通に生きてたら、交わることのない人種だった。
そんな言葉を真に受けるほど子供じゃない。 でも「楽しかったな〜」で忘れられるほど強くもなかった。
「夏のせいにしたらいい、それでもだめなら君のせいにしたらいい」 自分の中で、夏は終わっていた。 風は冷たくて、でも冬というにはあたたかい。 夏のせいにできないなら、この感情は──君のせい。
弱さに負けて、また強くなれた
全部、わかっていたはずだった。 当時の俺は、週に5〜6人の女性と遊んでいて、自分は無敵だと勘違いしていた。 でも、少し揺さぶられただけで、かつての非モテだった自分の常識が顔を出す。
Sちゃんに負けたんじゃない。 「もう会えないかもしれない」「失いたくない」という自分の弱さに、俺は負けたんだ。
悔しかった。反省した。 これまでの常識が間違っていたと、わかっていたはずなのに。 失うのが怖くなると、つい守りに入ってしまう。 邪魔な常識が顔をのぞかせる。
女性には優しく、気遣いを大切に、尽くすこと…… そんな“優しさ”が通用しない場面に出くわすと、 やっぱり常識が間違っていたと、再度はっきり理解した。
そうやって、失敗して、また少し強くなる。
札駅には、あれから一度も行っていない
あの日から2年以上が経った。 あのとき一緒に行ったカフェは多分もうない。 街の景色も、きっと変わっているんだろう。
俺も、変わった。 たくさんの女性と会い、関係性の作り方を身をもって学んだ。 ただ抱けるだけじゃ意味がないと気づいた。 あれは、俺の人生のターニングポイントのひとつだと思う。
今振り返ればあの時は何もわからず、調子に乗っていただけだった。 たった1日2日のことなのに、札幌という街に、特別な思い入れを持っている。
失敗したのは夏のせいでも君のせいでもなく、自分の弱さのせいだった。 あれから何度も、春を迎えた。 暖かくなっても、札駅には一度も行っていない。
最後まで読んでくれてありがとう。